医薬分業は薬の処方と調剤とを分離し、それぞれを医師と薬剤師の専門家が担う、まさに薬剤師という職業のレゾンデートルとも言える。日本においても明治時代から始まった医薬分業はこの20年間急速に進展し、1989年には10%程度に過ぎなかった医薬分業率は2013年度には67%に到達している

フリードリヒ2世の肖像画
フリードリヒ2世

医薬分業は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が1241年に発令したサレルノの勅令(Edict of Salerno)によって始まった(画像はパブリックドメイン)。サレルノの勅令は、医師が調剤を行うことを禁じるとともに医療の価格を固定するもので、同じような規制はヨーロッパ中に拡がった。これによって、おかしな診断をして必要のない、時には有害な「薬」を売りつける「医者」が取り締まられることとなった。

サレルノは当時の医療の中心としてヒポクラテスの町(Hippocratica Civitas)とも呼ばれ、現在のサレルノ大学はヨーロッパ最古の医科大学とされている(Schola Medica Salernitanaと呼ばれた学校は9世紀に建てられた修道院にその起源がある)。

フリードリヒ2世は科学全般に強い興味を持ったことでも知られ、言葉を全く使わないで育てた子供がどのような言語を習得するのかという実験も行っている(その様子はSalimbene di Adamという修道士の歴史書『Cronica』に記録されている)。聖書でアダムとイブが話したとされるアダムの言語がどのような言葉であったかを確かめようとしたと言われている。

同じような実験はスコットランド王ジェームズ4世ムガル帝国第3君主アクバルによっても行われているが、その結果がどうであったか確かなことは分かっていない。人間社会から離れて生育した野生児の場合には基本的に音声言語を持たないとされており、同様であったとは推測される。

※画像はフリードリヒ2世が執筆した、鷹狩を主題とした最初の書籍『De arte venandi cum avibus』の2ページ目に掲載されている肖像画(Wikimedia)。

薬キャリ編集部R.A.

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