薬剤師が抱える悩みとして常に上位に挙げられる「人間関係」。その人間関係を左右するのがコミュニケーションスキルです。では、コミュニケーションにおいて脳はどのように働いているのでしょうか。早稲田大学ビジネススクールにて『経営と脳科学』の講座を持つ枝川義邦氏が、そのメカニズムを解説します。

脳科学で検証する視線と笑顔の効果

かつて「ひと目会ったその日から」なんていう魅惑的なフレーズが流行りました。目は口ほどにものをいう器官なのだから、その魅力を存分に発揮したいところ。「ひとの目を見て話しなさい」とはよく言われます。それが相手への誠意の表れであり、そうすることで相手も安心し、結局は自分の好感度も上がる、というのがその理由のひとつです。では、相手の目を見て話すことは、自分の印象を良くする万能薬なのでしょうか。

薬剤師の皆さんは、調剤や服薬指導などで毎日お忙しくされていることと思います。「忙」という漢字は「忄(=心)」に「亡」と書くように、忙しいときには心がどこかに行ってしまいがち。しかし薬剤師たるもの、病気や怪我で困っている患者さんと面と向かうときは笑顔でいたいものです。 相手の目を見て笑顔で接する―これでお互いが気分よく過ごせるのなら、ぜひともそうしたいもの。コミュニケーションは、いまでは薬剤師の大切な役割のひとつであり、残薬など患者さんの抱える問題の発見や、薬剤師の存在感、信頼感のアップにもつながります。そして、患者さんだけではなく、同僚との円滑なコミュニケーションは働きやすい職場づくりにも欠かせません。このコラムでは、コミュニケーションの場における視線と笑顔の効果について、脳科学の観点から考えてみましょう。

脳で感じる「ご褒美」とは

近年、脳科学の研究が進み、日常的な場面で脳がどのように活動するのか、そしてどのように感じて、どのように行動するか、といったことが明らかになってきました。昔は「目は口ほどにものを言う」だったのですが、いまや「脳は、さらにものを言う」のです。特に、目の前にいる人や物事を「好きか嫌いか」については、研究により多くのことが分かってきています。脳の活動を調べると、目の前の対象を「好き」なのか「嫌い」なのかの本音が明らかになるというのです。 好きな人や好きな物を前にすると、人は嬉しくなったり、ドキドキしたりします。気持ちが華やいだぶん、なにか「ご褒美」をもらったかのような状態になるものです。このときに脳ではある特定の神経ネットワークが盛んに働くため、本音を知るには、その活動を調べればよいというわけです。

人が「ご褒美」だと感じるものはさまざまです。聞けば、人数分の答えがあってもおかしくはありません。しかし、十人十色に見える「ご褒美」も、脳の中では「報酬系の神経ネットワーク」の活動に集約されています。つまり、このネットワークが働くか否か、この一点だけでその対象を「報酬」、すなわち「ご褒美」だと感じるかどうかが左右されているのです。

好みのタイプは「ご褒美」になるか?

目の前に好みのタイプの人が現われたら――そう想像をするだけで心がときめくものですが、顔の好みにはウルサイヨ、という方も多いことでしょう。しかし、私たちも動物の一員。自分たちの脳の働きは、動物を参考にすることでも知ることができます。実は、動物が注意を向ける部分は顔の造りではなく、目に代表されるいくつかのパーツに限られるというのです。それは、目を見れば相手の視線がどこに向いているかを判断することができ、これが自分との関係を探るうえで大切な要素になるからです。

とはいえ、もちろん私たちは周囲の動物とは一線を画した部分も持っています。芸術を嗜むということは、私たち、ヒトがもつ特権のひとつでしょう。顔の造形的な美しさを追求する心を持つのは、ヒトのように脳が高度に発達した動物に限られるといわれています。私たちの脳では、美しいものを「ご褒美」だと感じるように情報処理が行われているからこそ、芸術のような美しいものに惹かれるのです。

そのような考えに沿った研究があります。権威ある学術誌『Nature』には、「目が合うこと」と「好感度」、そして「その時の脳活動」を調べた次のような実験結果が報告されています。注目したのは、脳の「報酬系の神経ネットワーク」。このネットワークは、「ご褒美」を期待したときに活動が高くなることが知られています。もうすぐ「報酬」が手に入ると想像した時には盛んに活動しているというわけです。
実験では、視線がこちらに向いて、目が合っているときの脳活動を調べています。すると、脳では報酬系の神経ネットワークが盛んに活動していたとのこと。「脳で報酬系が活動する=ご褒美に感じる」となることから、その人の視線は、脳でも「ご褒美」になっていたのが分かります。相手の顔に魅力を感じていようがいまいが、つまり好みのタイプか否かに関わらず、目が合った瞬間に脳の報酬系は活動を始めていました。もしかしたら視線を送ってきた相手が自分の好みのタイプかも、なんていう淡い期待に報酬系の神経ネットワークも前のめりになったということでしょうか。
そして、目が合った相手が期待通りに好みのタイプだと、活動性がさらに高くなったのだそうです。報酬を得て、さらにその先への期待を膨らませていることがうかがえます。
となると、「見つめ合って心を通わせる」なんていう艶やかな場面を想像しがちです。「早速、明日からやってみよう」となるかもしれませんが、そこはちょっと待った、なのです。脳はかなりシビアな判断をするものだからです。

目が合った相手が好みのタイプと違ったら。そのような状況で調べると、脳の報酬系の活動は低減。せっかく目が合っているのにも関わらず、何事もなかったかのように活動しなくなったのだといいます。誠に失礼なことではありますが、「期待はずれ」では脳の報酬系は働いてくれないのです。
しかも面白いことに、この研究には最後にオチまでついています。好みのタイプではない相手と視線が合っているときは報酬系が動かなくなっていましたが、そんな相手といても報酬系が働くことがあるというのです。なんとそれは、その相手の視線が外れたとき。目が合っていたときには動かなかった報酬系の神経ネットワークが、視線が外れることで再度活動を始めたとのこと。
ということは、目が合っているときは「罰ゲーム」で、視線が外れるとほっとひと息、ということでしょうか。そんな境遇、できれば自分の身には降りかからないでいて欲しいものです。

さらに格言的なことではありますが、もうひとつ。たとえ好みのタイプだったとしても、目が合わない状態になると、報酬系が活動をやめてしまったというのです。これは「失望感」につながり、あまり続くと嫌な気分になることもあるのだそう。ということは、どんなに美人でも、どんなにイケメンでも、目も合わさずにツンとしていては、相手に失望感を与えるだけで終わってしまうということにもなりかねません。視線を合わせて「目と目で通じ合う」には、どんなに美形であっても、気をつけなければならないということです。

心のつながりは笑顔から

視線を合わせたコミュニケーションは、脳内でキビシイ選別を受けていることから、相手の満足度を上げようとしてむやみに使うと、手厳しい目にあうかもしれないということでした。しかし、現場でのコミュニケーションに際して顔の造りをどうこう言われても、それはどうにもしがたいこと。

では、どのようにすると職場の同僚や患者の方々と気持ちのよいコミュニケーションが取れるのでしょうか。それには、まず「心のつながり」を作ることが大切だということになります。脳での情報処理は相手の外見にとらわれてしまうこともあるので、姿形にとらわれないつながりを意識していくことが肝要。その秘策は「笑顔」です。笑顔は万難を排するものでもありますから、素敵な笑顔には多くの人が引き寄せられます。
私たちの日常は気分の良いことばかりではないので、いつも笑顔でいることはなかなか難しいことでもあります。しかし、最初は作り笑顔であったとしても、それが引き金になって、真の笑顔が引き出されるのもままあること。できるだけ意識的に笑顔でいることを心がけるのがよいでしょう。

脳まで届く「笑顔のゆくえ」

笑顔がよいとはいうけれど、自分の笑顔は果たしてどこまで届いているのでしょうか。もちろん、話をしている相手には、その笑顔の魅力は飛んでいきます。脳には「ミラーシステム」という、目の前のことを自分のことのように感じる仕組みが備わっていますから、あなたの笑顔を見た相手は、いかにも自分が笑顔になる場面にいるかのような感覚になるのです。確かに笑顔や笑いは、相手の脳の報酬系を活動させることも知られています。
会話の途中で笑顔を作ってみましょう。すると、不思議と相手の笑顔も引き出せることが多いと気づくはずです。とはいえ、薬局や病院を訪れる患者さんは、得てして体調が芳しくないもの。カウンターで満面の笑顔を見せることは、さすがに少ないかもしれません。しかし、その脳や心にはしっかりと「笑顔のご褒美」が届いているはずです。

そして、もうひとつの「笑顔のゆくえ」があります。それは笑顔を作った本人。皆さん自身です。「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」――心理学者ジェームズとランゲの名言です。これは脳の活動性に鑑みてもまさにその通りで、泣いている自分を認識した時点で悲しいという感情が湧き出てきます。笑顔も同様に「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しい」とも言えるのです。

その仕組みは、笑顔を作るときの顔の表情筋が動くことにあります。その動きが引き金になって「嬉しい、楽しい」という感情を導き出していると考えられています。あわよくば、気分が昂じて目の前のことが「大好き」となるかも知れません。しかも、この結びつきはかなり強いものなので、何かツラい状況でも笑顔を作ったことがきっかけで、気分がすっと楽になることもあるくらいです。これは笑顔が自分の脳の報酬系を活動させることで、このような効果が現れると考えられているものです。
日常の中で少しでも笑顔の機会を増やす。これは周囲のためでもありますが、実は自分のためでもあったのです。笑顔あふれる現場の心地よさはちゃんと脳まで届いているのです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

専門家プロフィール

髙村 徳人

枝川 義邦(えだがわ よしくに)

早稲田大学研究戦略センター教授。東京大学大学院薬学系研究科博士課程を修了して薬学の博士号、早稲田大学ビジネススクールを修了してMBAを取得。早稲田大学スーパーテクノロジーオフィサー(STO)の初代認定を受ける。研究分野は、脳神経科学、ミクロ薬理学、経営学、研究マネジメント。早稲田大学ビジネススクールでは、経営学と脳科学とのクロストークの視点から『経営と脳科学』を開講。

◆主な著書
「身近なクスリの効くしくみ」「記憶のスイッチ、はいってますか~気ままな脳の生存戦略」(ともに技術評論社)など